活動ログ

第3回定例会の記録

2015.02.03 更新

平成26年10月24日に第3回定例会が開催されました。第1回目と第2回目の定例会は会員による発表でしたが、本定例会では初めて外部講師をお招きしての開催となりました。
今回は全国龍馬社中九州・沖縄ブロック長の馬場甚史朗さん(株式会社風月堂 社長、有限会社馬場製菓 会長)に「薩摩と龍馬」と題してご講演して頂きました。

まず、龍馬さんと薩摩のつながりについて具体的にお話しして頂きました。ここ九州では坂本龍馬と言えば一般的に長崎が思い浮かびますが、薩摩から言わせれば「龍馬を育てたのは薩摩である」とのことでした。実際、文久5年(1865年)に勝海舟主催の神戸海軍操練所が閉鎖された際は、龍馬以下脱藩浪士を薩摩が庇護しています。また、亀山社中の隊士に対しては、薩摩が3両2分の給料を支給しています。
そして何より、龍馬さんは西郷さんのことを非常に慕っており、一方西郷さんの方も年齢が一回り違う龍馬さんを弟のようにとても可愛がっていたとのことでした。龍馬さんの変名として、才谷梅太郎が最も有名ですが、西郷さんから許可を得て西郷伊三郎という変名も使っていたとのことです。
現在でも龍馬さんが文久2年(1862年)3月に脱藩した際の足取りは未だ明らかになっていない部分が多々あります。そんな中、土佐脱藩後龍馬さんは一旦は薩摩に入ろうとした形跡があるとのことです。その時は手形がなくて結果として入れなかったのですが、龍馬さんが当時の最先端技術を持つ薩摩に関心があったのは明らかで、他の志士とは違う思考方法・行動力が伺えます。この時点で既に薩摩と接点があたっとは驚きでした。

馬場さんのお話では、ご自分も龍馬さんのようになれると思って日々活動しているとのことでした。馬場さんは馬場製菓という商家に生まれ、東京の大学に通う傍ら空手を習うなど、龍馬さんと似たような経歴があります。そういった部分を龍馬さんと重ね合わせ、親しみや憧れを抱いているとのことです。
また、馬場さんは現在株式会社風月堂の経営を担っており、龍馬さんを日本で最初のアントプレナ-シップ(起業家精神)を持った男として、会社経営の観点からもその考え方や行動方法を大いに参考にしているとのことでした。

最後に、設立して間もない北九州龍馬会に対して激励の言葉を頂き、この北九州龍馬会も馬場さんのように龍馬さんの起業家精神を持って本会を盛り上げていきたいと思います。
今回は、薩摩から見た龍馬さんということで、いつもと違った角度から龍馬さんを捉えることができ新鮮で大変有意義な定例会となりました。